創業昭和五年(一九三〇年)

老松通りに守る老舗の暖簾

キタから中之島へぶらぶら歩いて老松町。 戦前のこの界隈はもともと大阪天満宮の門前町で、 老松通りにはたくさんの参詣者が行き来し、文化人にも親しまれた街でした。 現在は、合わせて百軒近くの古美術・骨董店、ギャラリーが軒を連ねます。 古いもの、美しいものと触れながら自分だけの出会いを探して歩いてみる。 老松町は文化と美術の街です。

弊店は昭和5年に中央区難波で創業し、昭和26年に老松通りに移転し、 商いをさせていただいております。 平成11年に自家製粉、手打蕎麦の専門店「なにわ翁」として新たに出発してからは、 それまでとは全く違うお品書きになりました。 けれど、一方で80年間の伝統に培かわれ、親しまれ、守り続けてきた味もあります。

目先の新しさだけを追わず、良いものはいつまでも受け継いでゆきたいと考えています。

山梨「翁」での

修業と「なにわ翁」

今の「なにわ翁」を語る上で、師匠・高橋邦弘氏の下での修業はかけがえのないものです。 住み込みの修行中に師匠から学ばせていただいた事はたくさんあります。 その中で今の自分に最も生きている教えは「仕事は流れが大切」ということです。

そばを打つ時の流れはもちろん、日々の営業の流れ、そばを取り巻く環境の変化、 そして70余年にわたる店の流れをふまえて、お客様に愛される「なにわ翁」になるために、 今何をするべきか、常に意識して仕事に取り組んでおります。

「そば好き」はもちろん、「そば屋好き」にも愛される店を私は目指してまいります。

なにわ翁 店主 勘田拓志

1970年代のなにわ翁
(北本家更科)

創業者である勘田登喜雄と当時の店名『北本家 更科』での写真。 創業の地、難波から西天満へ移転して数年後の家族団らんの写真。 当時はきつね100円、かちんそば180円となっている。

1998年頃 
3代目拓志による修行

言わずと知れた名人『高橋邦弘』氏の直弟子となる。当時内弟子の空きが無かったが、 奇跡的に欠員が出て勘田拓志は翁へ入門となった。関西初の翁として関西での注目度があがる。写真は師匠と両親(2代目)との写真。

現在 
勘田流のそばがはじまった

かけつゆのだしは祖父の代から続くもので、これこそが当店ならではの 自慢の味なんじゃないかと気づき温かい出しの中でもそばの香りがちゃんと残っている。 創業の歴史と師匠の教えによる勘田流そば店がようやくはじまった。